アメリカ製の携帯音楽プレーヤーで韓国の音楽を聴きながら、アフリカを舞台にした小説を読む。
ここは、世界中の豊かさを享受できる恵まれた国なのだろう。
しかし、グローバリゼーションという言葉の陰には巧妙な罠があった。
日本の日常は、人類のスタンダードではない。
この国のユニークさは、先進国の中でも特異なアメリカというフィルターで世界を見ることだろう。
経済後退の嵐の中で、先進国の多くが消費喚起を促すために減税や給付といった施策を展開する。
日本では、不自然なほど「定額給付金=稀代の悪法」が喧伝されている。
反対派たちは具体的な論拠を持たず、官制の騙しの言葉を重ねるのみ。
横文字職業のタレントたちが電波を使って垂れ流す害毒が世論を統制する。
貯蓄を切り崩して生活をする人々は、この国に存在しないかのように。
そんな感情的な雰囲気作りが、不健康な本音と建前を国民に広げている。
ひと頃の金融機関への公的資金投入反対の大合唱を覚えている人たちは消え、
バブル崩壊後の破綻を救った手法は、今や世界のお手本ともてはやされている。
ロジックではないのだろう、多くの人たちを突き動かすものは。
閉鎖的な社会の牢獄に暮らし、管理されていることすら気付かない。
北朝鮮に自由がないと発言する人々が、本当に自由な意思を持ち得ているのかどうか。
「王様は裸だ」と言えない臆病な確信犯はマシで、自由を信じて疑わない低能どもが世論をリードする。